osho .comより
https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/emotional-ecology/fear-of-change
変わることへの恐れ
私は孤独を感じています。そのことはいいのですが、ただ混乱しているのです。なにが起こっているのかわかりません。内側でいろいろなことが変わりつづけているので、あるときは恐くなったかと思えば、あるときはわけもなく幸せな気持ちになります。
それは自然だ。恐くなったときには、ただリラックスしなさい。恐れがあるという事実を受け容れて、ただしそのことについてなにもしてはいけない。それを無視しなさい。それにいっさい注意を払ってはいけない。体を見守りなさい。そこにはいっさい緊張があってはならない。体に緊張が存在しなかったら、恐れはひとりでに消えてしまう。恐れは体になんらかの緊張状態をつくりだし、そこに根を張ろうとする。体がくつろいでいたら、恐れは消えるしかない。リラックスしている人は恐れはしない。リラックスしている人を怖がらせることはできない。恐れがやってくるとしても、それは波のようにやってくる......それが根を生やすことはない。
恐れが波のように来ては去るが、あなたはそれに触れられないままでいる、というのはすばらしいことだ。それがあなたのなかに根を生やして、あなたのなかで成長しはじめたら、それは腫瘍に、癌のような腫瘍になる。そうなると、それはあなたの内側のオーガニズム(有機体)をだいなしにしてしまう。
だから恐れを感じたとき、ひとつ目を向けなければならないのは、肉体を緊張させないということだ。床に横たわってくつろぎなさい。くつろぐことは恐れの解毒薬だ。そしてそれは来ては去るものだ。あなたはただ見守っていなさい。
その見守ることは興味ゆえのものでなく、無関心なものであるべきだ。人はただ受け容れる、これでいいのだと。その日は暑かったとする。あなたになにができるかね? 体は汗をかいている......なんとかやりすごさなければならない。夕方が近くなってくれば、涼しい風が吹いてくるだろう......。だからただそれを見守り、くつろぎなさい。
いったんそのコツをつかんだら、それに、あなたはすぐにそれをつかむだろう――あなたがリラックスすれば、恐れはあなたにとりつくことができない、それは来ては去っていくが、あなたに痕跡を残さない――そうなれば、あなたは鍵を手に入れる。それはやってはくるだろう。それがやってくるのは、私たちが変われば変わるほど、いっそう恐れがやってくるからだ。
あらゆる変化が恐れをつくりだす。なぜなら、あらゆる変化があなたを不慣れなもののなかに、異質な世界へと追い込むからだ。なにも変わらず、あらゆるものが固定したままなら、あなたが恐れを抱くことはまったくない。ということはつまり、あらゆるものが死んでいたら、あなたは恐れないということだ。
例えば、あなたが座っていて、そこに岩が横たわっていたとする。なんの問題もない。あなたは岩に目を向けるが、なにもかも申し分ない。突然、その岩が動きはじめる。あなたはびっくりする。はっとする! 動きが恐れをつくりだす。そしてなにひとつ動かなかったら、恐れというものはない。
だからこそ、人びとは恐ろしい状況に立ち入りたくないために、なんの変化もない人生を送ろうとする。なにもかもが同じままで、人は死んだような日課に従い、人生は絶え間ない変化だということを完全に忘れている。彼はなにひとつ変わらない自分がつくった島にとどまっている。同じ部屋、同じ写真、同じ家具、同じ家、同じ習慣、同じスリッパ――なにもかも同じだ。同じ銘柄のタバコ。あなたは銘柄を変えようとさえしない。こういったもののなかで、この無変化のただ中で、人はホッとする。
人びとはほとんど墓のなかに暮らしている。あなたのいう便利で快適な生活とは微妙な墓場にほかならない。だからあなたが変わりはじめると、内なる空間の旅に乗り出すと、内なる宇宙の飛行士になると、あらゆるものが目まぐるしく変わっていき、いつもつねに恐れに震えることになる。だからもっともっと多くの恐れに直面しなければならない。
それをそこに置いておきなさい。だんだんとあなたは変化を楽しむようになり、どんな代価を払ってもかまわないと思うようになる。変化はあなたに生命力を与える......さらなる活気、わき立つ喜び、エネルギーを。そうなればあなたは池のようではない......四方から閉ざされた、動きのない。あなたは川のようになり、未知なるものへと、そして海へと流れていって、そこで川は失われてしまう。
(本書はOshoの要望により入手できなくなっています)