アコアのブログ

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からだに基づく瞑想~ダイナミック瞑想

http://www.osho-japan.com/guide/dynamic2.html

体に基づく瞑想

 霊性は絶対に緊張しない、しえない。霊的な緊張などというものは存在しない。あるのはただ体の緊張と頭の緊張だけ。
 
 肉体的な緊張というのは、「宗教」の名のもとに、反肉体的な姿勢を説いてきた人たちによって生み出されたものだ。西洋では、キリスト教が強硬に肉体に反 対してきた。偽りの分裂、深淵があなたとあなたの肉体のあいだにつくられた。となると、あなたの姿勢は全面的に緊張を生み出すものとなる。

あなたはものひ とつリラックスして食べることができない。リラックスして眠ることもできない。体で行なうことはすべて緊張になるのだ。肉体は敵だ。しかし肉体なしでは生 きられない。あなたは肉体にとどまらなければならない。「敵」といっしょに暮らさなければならないのだ。そこには間断ない緊張がある。あなたはけっしてリ ラックスできない。

 肉体は敵ではないし、どんな意味においても非友好的であることはない。あなたに対して無関心ですらない。肉体の存在自体が至福なのだ。肉体をひとつの贈 り物、神の贈り物として受け取るや否や、あなたは肉体へと帰るだろう。そして、肉体を愛し、肉体を感じるだろう――その感じ方は微妙だ。

 自分自身の肉体を感じたことがなければ、他人の肉体を感じることはできない。自分の肉体を愛したことがなければ、他人の肉体を愛することはできない。そ れは無理だ。自分の肉体を大事にしたことがなければ、他人の肉体も大事にできはしない。しかも、誰ひとり大事にしないのだ! 自分は体を大事にしている、 とあなたは言うかもしれない。だが、私はこう断言する、「大事にしている者はひとりもいない!」たとえあなたが体を大事にしているようにみえても、ほんと うにしているわけではない。あなたが大事にしているのは他の理由だ。他人の意見、他人の眼にどう映るかだ。あなたは自分自身のために自分の体を大事にする ことはけっしてない。あなたは自分の体を愛していない。愛することができなければ、体のなかに入っていることはできない。


 自分の体を愛するがいい。そうすれば、あなたはいままで感じたこともないようなくつろぎを感じるだろう。愛はリラックスさせる。愛があれば、やすらぎが ある。もし誰かを愛したら――あなたと彼あるいは彼女のあいだに愛があったら――そのときには愛にともなって、やすらぎの音楽がやってくるそのときに、く つろぎがあるのだ。


 自分の体を愛したら、それと同じ現象が起こる。あなたはくつろぎ、自分の体を大事にする。自分自身の体と恋に落ちることは間違ったことではないし、ナルシスト的なことでもない。どころか、それこそ霊性への第一歩だ。
 

 ダイナミック瞑想が体から始まるのはそのためだ。激しく呼吸することによって、マインドが拡がり、意識が拡がる。全身が、うちふるえる活気づいた存在に なる。

いまやジャンプがより楽になる。いまではあなたはジャンプできる。考えることがじゃますることはより少なくなる。あなたはふたたび子どものようにな る。跳んだり、うち震えたり、生き生きとなる。条件付け、つまり頭マインドの条件付けはそこにはない。

 体はマインドほど条件付けられてはいない。これを憶えておくがいい。マインドは条件付けられているが、体はまだ自然の一部だということを。宗教や宗教界 の思索家たち(彼らは基本的には頭脳人間だ)はすべて、体に反対している。体とともにあっては、感覚とともにあっては、マインドやその条件付けは失われる からだ。

 呼吸にともなって、あなたは自分の体全体を隅々まで感じはじめる。体は洪水におそわれたようになり、あなたはそれと一体になる。いまやあなたの「飛躍(ジャンプ)」が可能になった。

 セックスでの「飛躍」はほんの小さなものだが、瞑想での「飛躍」は非常に大きな飛躍だ。セックスにおいては、あなたは誰か他の人のなかへジャンプする。
そのジャンプの前には自分の体と一体になる必要があり、その「飛躍(ジャンプ)」のなかでは自分がなおいっそう拡がってゆく必要がある。相手の体のなかへ 拡がってゆかなければならないのだ。
あなたの意識はあなたの体を超えて拡がってゆく。
一方、瞑想では、自分の体から宇宙の体のなかへ飛びこむ。あなたは宇 宙と一体になる。
 
 ダイナミック瞑想の第二ステージは浄化(カタルシス)だ。
自分の体と一体になるばかりではなく、体のなかにたまってきた緊張がすべて発散されなければな らない。
可能なかぎりの激しい動きができるように、体は軽く楽にならなければならない。
そうしたとき、デルヴィッシュ・ダンス(スーフィの旋回舞踏)と同 じことが可能になる。

体の運動が活力に満ち激しければ、やがてあなたがコントロールを失う瞬間がやってくる。その瞬間こそ必要なのだ! あなたがコント ロールしてはならない。なぜなら、あなたのコントロールが障壁だからだ――。あなた自身が障壁だからだ。あなたのコントロール機能――あなたのマインド ――が障壁になっているのだ。
 動きつづけなさい! 
もちろん最初はあなたが動きはじめなければならない。だが、やがてあなたが動きに乗っ取られる瞬間がやってくる。そして、コント ロールがきかなくなったと感じてくる。あなたは淵に立っている。いまこそジャンプできる。さて、あなたはふたたび子どもになった。あなたは帰ってきた。条 件付けなどすべて投げ棄ててしまう。もう何も気にかけない。他人が何と思うかなど気にしない。いまや、社会によってあなたのなかに植えつけられたものはす べて投げ棄てられる。あなたは、ただ広大な宇宙に舞う粒子となる。
 

 ダイナミック瞑想の第二ステージであなたがすべてを発散したら、そのときはじめて、次の第三ステージが可能になる。
あなたの自己同一性(アンデンティ ティ)は失われ、あなたのイメージは壊される。なぜなら、何であろうとあなたが自分白身について知っていることは真のあなた自身についてのものではなく、 単なるレッテルにすぎないからだ。
「これだ」「あれだ」と言われてきて、あなたはそれで自分の確認をしてきた。

だが、ダイナミック瞑想の激しい動きや宇宙 的(コズミック)な踊り(ダンス)によって、そういう自己確認はすべて失われる。はじめてあなたは、生まれたときにそうであったにちがいない在り方で在 る。この新しい誕生によって、あなたは新しい人間になる。




Osho, Meditation: The Art of Ecstasy, #6 より

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