愛は行為ではない。それは境地だ。
愛を行うことはできない――あなたはただ、それであることができるだけだ。
そして、愛は関係でもない。それは参加することだ。関係のなかでは、ふたりの人物が互いにもつれ合い、からみ合う。
彼らは互いに隷属を、いわば相互束縛を生み出す。
参加のなかでは、彼らは近づき、非常に近づき、一種の一体性にまで入り込むが、からみ合ってはいない。
近いが、互いに依存し合ってはいない。近いが、それでも自由だ。
彼らの自由は触れられないままだ。
そうあってこそ、参加だ。
もし自由がそこなわれたら、それは関係なのだ。
自由こそ、愛が本物であるかどうかのまさに基準だ。もし愛が自由をそこなうようであれば、それには価値がない。
そうであれば、それは愛の仮面をかぶっている、愛の振りをしているほかのなにかだ。
愛のなかに深く入っていけばいくほど、あなたは自由になる。
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