質問者 あなたの対話を初めて聴いた頃、私は絶望のどん底にありました。
与えられた状況が、どのようにあがいても一生つきあっていかなければならないものであるという事実を、なんとか変えようとして、躍起になっていました。様々なスピリチュアルな教えをさまよいましたが、生半可な希望や起きている現実に対する多種多様な解釈は、私をますます落ち着かなくさせ、苦しみの深沼へとはまり込んでいきました。
『ほんとうのあなたは、あなたがあなただと信じているそれではありません』
という、あなたの言葉を聴いた時、それはとっても新鮮に聞こえたのですけれど、私はずっと前から、そのことを知っていたのだというふうにも感じました。ですから、あなたのお話をもっとたくさん聞いてみたいと思いました。そして、あなたの対話を毎日繰り返し聴きました。
恐れに向き合うのはなかなか困難でした。
でも、希望がありませんでしたし、探し求めることに疲れて果てていましたから、あなたがおっしゃるとおりにやってみてもいいかなと思いました。
(笑い)
恐れに襲われる度に立ち止まりました。
そしてあなたがおっしゃるように、何度も、そのエネルギーに対して心を開きました。
どのようなことが起きるのかはわかりませんでしたが、とりあえず、やってみていました。
(笑い)
そしてあるとき、気づきました。
言葉で表すのは難しいのですけれど、、、、
恐れから気持ちをそらさずにじっと留まっていたら、そこにはただ大きな、しんと静かな空間があるだけだったのです。
初めて体験した、本当の平安、でした。
ガンガジ こどもが、ベッドの下にお化けがいると言って怖がっているのと同じですね。母親はこどもに、ベッドの下をしっかりと見てご覧なさいと言うでしょう。
逃げることをやめてしっかりとみてみると、お化けはそこにいないということに気づくのです。
質問者 はい。
そして、私が恐れていた『将来』は、私が作り上げていた幻想だったということもはっきりとわかりました。
真実は、
『私は何もわからない』という言葉につきます。
だってほんとうにそうなのですもの。
(笑い)
ガンガジ その通りです。
素晴らしいですね。
あなたがおっしゃっている「わからない」とは、成熟した、智慧ですね。
無知という意味での「わからない」ということではありません。
意識的にわからない中にいるということが、
ゆだねです。
質問者 ええ、そうです。
『私』はわからないのだ、ということがわかったら、平安が現れました。
『私』は信頼するに足らぬものなのです。
考えの寄せ集めなのです。
以前恐れていたものが、もう全く怖くありません。
(しばらく沈黙)
あなたのおかげです。
どれほど感謝しても足りないくらいです。
最近、あなたが、「責任を取る」というお話をなさっていることを何度か聴きました。
『また、同じことを繰り返してしまっている、ということを見る責任は私にあるのだと、あなたはおっしゃっていました。そして、そのことに対して、開くという選択が私にはできるのだというふうにおっしゃいました。
それはとてもパワフルな言葉でした。
なぜなら、私は、
苦しむことを自分が選択しているということを、薄々、というよりも、
とてもはっきりと、知っていたからです。
ただ、そのことをうやむやにしていたかったのです。
起きている状況や、誰かのせいにして苦しむというような習慣があり、
悲劇のヒロインを演じることを楽しんでいたとも言えます。
それをやめてしまったら、生きている楽しみが無くなってしまうのではないかというような気がしました。
(笑い)
ガンガジ エンターテイメントですね。
質問者 そうです。
けれども、
本当に手放してもよいと決意しました。
飽き飽きしたからです。
「もう、いい加減、エンターテイメントはいらない」と感じるまでに、
永遠のような時間を費やしてきたような気がします。
ガンガジ 真の、成熟ですね。
質問者 それで、
あなたがおっしゃることを、何度も自己検証してみました。
はじめは、意識的に立ち止まることが必要でした。
そうやって自分の中で何が起きているのかを何度も見ました。
技術を習得するのと同じだと、あなたはおっしゃっいましたが、まさにそのような感じでした。
動作を確認しながら、車の運転を覚えるというようなかんじでスローモーションで見るようにと、あなたはおっしゃいましたが、
私は、自分の中で何が起きているのかを根気強く何度も見ました。
そして、最近は、考えがやってく瞬間というのが確実にわかるようになりました。
私の身体の中になんらかのエネルギーの動きが起こるので、考えがやってきたということがほとんど同時にわかります。
そして私は、気づいた瞬間に考えを手放します。
すると即座に解放が起こります。
ガンガジ まさにその通りです。
質問者 たまに、考えを意識的に招き入れ、しばらく遊んでみることがあります。
数秒間ですけれど。。。
でもすぐに、遊ばなくてもいいと感じますので手放します。
そのような選択は、私の中で、今はとても瞬間的に起きています。
けれども、手放すか、招き入れるかという選択を、自分でしているその瞬間がそこにあることは、はっきりと、大変明確にわかります。
また、あるときは、招き入れた考えは、2、3時間私の中にとどまり、ときには私は、もっと長い時間、留まることを許しますが、
(笑い)
するとそれは大きく膨張して、手に負えないと感じ始めることになります。
でもある時点で、
「もうたくさん。」と、
私は、その考えを手放します。
あなたがおっしゃるとおり、苦しむか苦しまないかという選択は、私にあります。
あなたは正しいです。
(会場笑い)
ガンガジ 皆様、今、彼女はとても重要なことをお話ししてくださっています。
私がいつも皆様にお話ししている、私たちにある責任について、彼女の体験からお話ししてくださっています。
おなじみの考えを、何度も招き入れ、苦しみを選択することも自由ですし、「もう結構」と、即座に手放すことも自由です。
そこに選択の瞬間があり、私たちは、どちらをも自由に選択をすることができるのです。
選択の瞬間に気づくために、初めは、意識的に何が起きているのかを見る必要があるかもしれません。
やがて、瞬間的に見え、選択ができるようになります。
そしてやがてそれは、まるで自動的に起きているように感じられるようになるでしょう。
選択は一秒にも見たない時間の中で起こります。
そのようなことが、誰にでも可能です。
『本当に欲しいのは何だろう?』
と、何度もご自分に問いかけてみてごらんなさい。
質問者 あなたに心から、感謝をしています。
ガンガジ 私の話を鵜呑みになさらずに、検証してみてくださりありがとうございます。
あなたのお顔を、皆様の方に向けていただけますか?
(質問者 会場に顔を向ける)
どうでしょう皆様、彼女のお顔をご覧ください。
私たちは、お互いに気づいたことを、このように与え合うことができます。
受け取り合うことができます。
真理は伝染していきますから。
素晴らしいですね。
あなたがいらしてくださったことに、心から感謝いたします。
(ガンガジと質問者、向き合ったまま合掌、長い間沈黙)
……
転載元:http://gangaji.jugem.jp/?eid=43