♥︎マンガラ・ビルソン
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~ハートの声を聞くとは、自分の感じている真実に責任をとること~
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◆自分を悪者にするか…◆
感じていることを抑圧することから、
ほとんどの肉体的な病気が生まれてきます。
感情はエネルギーであり、
そのエネルギーは、どこかへ向かわざるをえません。
もしも感じることを拒めば、
もしも感じることを拒めば、
それは不自然なかたちで肉体に押し込められることになり、
病気をもたらすことにもなる。
だからこそ、大きな病気は、
だからこそ、大きな病気は、
それを活用するならば、成長のためのとてもすばらしい機会になりうるのです。
からだの症状が、
からだの症状が、
マインドの「条件づけされた観念」よりも深いものに責任を取るよう
私たちに強いるのです。
けれども成長するに当たって、
つねに、こうした辛く大きな代償を払う必要はありません。
入院する前でも、起こっているプロセスをつかまえる知性と気づきを持つことは、
たしかに可能なのです。
実際に感情を感じ、そして、
「感じたことに対して自分を責める」という状態が、次にやってきます。
これは、私たちのほとんどが、つねにしていることでもあります。
「条件づけられたマインド」は絶え間なく、
こんなことを感じるべきではない、良いと教えられた感情だけを持つべきだ と
ささやき続け、もしそうでないと、自分を悪者にしてしまうのです。
悪い息子や娘、悪い親、悪い夫や妻、悪い友達、悪い部下 等々、
悪い息子や娘、悪い親、悪い夫や妻、悪い友達、悪い部下 等々、
あげればきりがありませんが、
何であろうと、マインドが許容する以外の感情を感じたとき、
私たちは自分を下劣な存在だと判断します。
そして罪の意識を持ち、自分を責め、
それを埋め合わせるために、さらに一生懸命良い存在になろうと努力し始めます。
けれども、「こうした動機からの愛に満ちた行動や行為」は、
私たちのハートや真実からのものではありません。
つねにぎこちなさが残る、無理強いされた行為なのです。
つねにぎこちなさが残る、無理強いされた行為なのです。
義務や責任、あるいは、そうすべきだと思うことをしたりはしますが、
すべては自分を悪く感じたくないがためなのです。
そして、そういった義務感からの好意の受け取り手になったことが、
あなたにもきっとあるでしょう。
それを素直に受けるのは、難しいものです。
実際、罪悪感は、私たちを過去にしばりつける大きな要因のひとつです。
それは、私たちが本当に感じていることに責任を取ることを妨げる、
それを素直に受けるのは、難しいものです。
実際、罪悪感は、私たちを過去にしばりつける大きな要因のひとつです。
それは、私たちが本当に感じていることに責任を取ることを妨げる、
楽な逃げ道でもあります。