マンガラ・ビルソン
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~ハートの声を聞くとは、自分の感じている真実に責任をとること~
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◆あるいは、人を責めるか…
こうした進化の段階において、人を責めるということもあるでしょう。
感じていることに対し、自分の代わりに、人を悪者にするのです。
「人がすべきことをしてくれないから、自分は怒っているのだ。」
「人がすべきことをしてくれないから、自分は怒っているのだ。」
「気分が悪いのは、あの人のせいだ、あんなことをしたのだから」というわけです。
あるいは、もっともよくあるのは、
人が自分の期待を満たしてくれなかった・・と
いうことでしょう。
この戦略は、往々にして、かなりきつい独善的な考えとともにやってきます。
「自分はすべきことをしている良い伴侶や親、良い部下等々なのに、相手が自分を認めてくれない」とか「見返りにしてほしいと思っていることをしてくれない」
この戦略は、往々にして、かなりきつい独善的な考えとともにやってきます。
「自分はすべきことをしている良い伴侶や親、良い部下等々なのに、相手が自分を認めてくれない」とか「見返りにしてほしいと思っていることをしてくれない」
というわけです。
けれども、このことをもう少し深く見たならば、自分の良いふるまいや行為は、『契約に基づいている』ということが見えてくるでしょう。
「もしもあなたが私に対して良い夫でいてくれて、私の思いどおりにふるまってくれるならば、私はよい妻でいましょう」というわけです。
あるいは
あるいは
「あなたに優しく、思いやりをもって私に接してもらいたいから、あなたに優しくしましょう」ということかもしれません。
こういったたぐいの良い行動には、必ず落とし穴があります。
それは期待であり、欲望なのですから。
こうした行動は、クリーンな、無条件のものではありません。
何かを返してもらいたがっているのですから。
こういったたぐいの良い行動には、必ず落とし穴があります。
それは期待であり、欲望なのですから。
こうした行動は、クリーンな、無条件のものではありません。
何かを返してもらいたがっているのですから。
そして、期待が満たされないと、相手を責めることになる・・
私は正しいことをしたのだから、
私は正しいことをしたのだから、
今度はあなたもそうすべきだ、契約を果たすべきだ・・というわけです。
◆愛に満ちた「ふるまい」は愛ではない◆
ほとんどの関係性は、こうした糸によって織られ、愛を疎外しています。
私たちは、愛に満ちたふるまいをすれば、
◆愛に満ちた「ふるまい」は愛ではない◆
ほとんどの関係性は、こうした糸によって織られ、愛を疎外しています。
私たちは、愛に満ちたふるまいをすれば、
愛に満ちた存在になれると思いがちですが、それは本当ではありません。
愛に満ちたふるまいは、あくまでも「ふるまい」であって、
愛に満ちたふるまいは、あくまでも「ふるまい」であって、
身につけた演技であり、愛とは何の関係もないのです。
子どものころに身に着けた、
子どものころに身に着けた、
自分を安全に保ち、欲しいものを手に入れるための行動様式を
たんに続けているだけであって、その行動はマインドからやってきています。
ほんとうに愛に満ちるためには、ハートの声を聞く必要があります。