「摂食障害とクレプトマニアの体験談」
14歳の頃に私が食べ吐きをはじめたのは残すと怒られるからでした。
その頃は年頃なので、体がムチムチしているのを友達に指摘され、
それは潰れるような恥ずかしさを感じました。
それまではずっとぜんそくで、痩せていることを祖母によくお風呂で背中を洗われているときにたしなめられていました。
ずっともっと太らなきゃと思っていたけれど、いざ太ると、
「食べたくない」(NO)と伝える言葉を、その頃持ち合わせていませんでした。
だから食事のあと食べ過ぎた分をトイレで吐くようにしました。
その頃の家庭はギスギスしていて安らぎが無く、息を押し殺す日々。
支配された構造。
姉もおかしくなり、私をいじめてくるのですが私は私で自分の感情がわからなく、されるがままでした。
祖母が発する、みんなを大声でののしる裏で、静かに泣く母。
じわじわと食べて吐く行為にハマって行きました。
16歳のときは十分すぎるお金を貰っていたのに、過食へお金を遣いたくなくて、お店のパンや飲み物を盗むようになりました。
学校は好きで遊ぶ友達にも恵まれていたけれど、思い返せば、本当の奥にある今の気持ちを伝えることが出来なくて、秘めたまま生活し、
硬くて重たいどろどろを、吐き出せない代わりに、私は一日中過食嘔吐をするようになっていきました。
当時、益々家への居心地が最悪で、母とアパートで一時的に暮らしていました。
盗癖は悪化し続けて、見せびらかすように堂々と盗み、何度も捕まり、未成年なので諭され、母を何度も泣かせました。
悲しくて悲しくて。
なのに私はずっと繰り返しました。
どんなに迷惑をかけても、捕まらないために盗んでいました。
単位がギリギリでしたが学校を卒業して、一人暮らしを始め、上京しました。
私は過食したい気持ちと自分を傷つけたい気持ちで、体も売るようになりました。
進学した学校のあと、体を売りに行き、帰りに盗む日々。
欠席しながら迷惑をかけながら、なんとか学校も卒業して昼の仕事をはじめました。
満たされた気持ちや安らぎはなく、いつも人の目にビクビクし、ただただ刺激でした。
じっとしていられなくなり、益々眠れないので15歳の頃から飲んでいた精神科の薬も増え、タバコも増え、夜はジンを瓶ごと飲み気絶し、体を引きずるようにまた起きる。叫びながら自傷して。未遂をし。
でも、やっと欲しかったスレンダーな体。
ただその頃は、ガリガリになっても、痩せていることさえわかりませんでした。
風俗店のグラビアで自分を観て、びっくりしました。骨が浮いていて。
私の脳内は、吐く行為を始めた14歳のあの健康的な身体のイメージのままだったんです。
満たされない。
でも満たされていないことさえ気付かない。
外が怖い。人が怖い。
今なにが起きているのかが全く分からない。
普通になりたい。
普通にごはんが食べたい。
あるとき、ついにまた窃盗が見つかり警察へ。
成人していたので指紋も取られることとなりました。
その頃もう全く、初犯の盗みかたじゃなく、警察官2人と一緒に必要な書類を取りに自分のアパートへ帰り、首を包丁で切りました。
どうにかして逃げることしか考えていませんでした。
警察官は必死で私を抑えつけました。
現実感がなく、すべてがどろどろでした。
その後警察官数人の方たちとじっくり向き合いました。
もちろん犯罪です。
精神科にずっと通っていたことがわかり、女性の警察官からつらかったね、と手を握って言ってもらったとき、泣きました。
悲しくてではなく、温かさと優しさに触れて泣きました。
私は傷ついていたんです。
ずっとわからなかったんです。
これも、このときの段階ではわかりませんでした。
でもこの日から窃盗癖は完全に無くなりました。
誰かからなにかを奪うことを辞めました。
大変なことをしたという実感は、充分感じることができました。
今でもお店に入ると怪しまれていないか、間違ってバッグに商品が入ってしまわないかときっちり閉めます。
必ず挨拶と、お礼を言います。
ありがたいと、思います。
自分が傷付いていたことに気付かなかったから、
お店の人が盗まれたらどういう気持ちになるのか、
どんな思いを持つかが分からなかったんです。
その後もたくさんアディクションを体験し、
克服していき、今に至ります。
今の私はまだ、夜は一日一回食べ吐きをし、アルコールもよく飲みます。
でもあんなに欲しかった「普通に、安心しておいしく食べる」ことが出来るまで回復しました。
薬もすべて断薬し、整体を習い、体も日々意識しています。
病院のお世話には一切かかわらずに済むようになりました。
対人関係療法や、自分でも多方面よりケアをし続け、
そして、アコアのミーティングや回復プログラム、カウンセリングにもお世話になりました。
アコアへ来た当初、私はとても緊張し、とても疲れたのに、また来たいと思いました。
今は外から内へ意識を向けることが容易になり、話も出来て、疲労も無くなりました。
自分軸じゃなかったからあんなに疲れやすかったのだと感じます。
今私は、自分のことを、とても大切に感じることができます。
パートナーや友達が、いてもいなくても、深く呼吸が出来ます。
今のこの瞬間にやすらぎを感じ、生きていることへの喜びを感じることが出来るまで回復しました。
そしてもちろん今も、回復のプロセスは続いています。
回復のプロセスは一見平坦でも回復を目指したときから進むのだと振り返ります。
それは本当の私たちへ還っていく、とてもパワフルな旅です。
……