第四章 「よい子」を演じる娘たち
◇母親のカウンセラーになる娘たち
要するに摂食障害の母親たちは、それ自体が新しい女性たちだったのである。
彼女たちは、すでに自我理想のダブルバインドを経験していた。
経験はしていたが、それを言語化したり、解決のための行動に結びつけたりすることはできなかった。
その代わり、彼女たちは家庭内に緊張を作り出した。自らの空虚感や抑うつの責任が夫にあると思い、彼らに怒りを抱き、恨んだからである。
ある期間、妻たちは子どもの養育に熱中し、夫への怒りを紛らわすことができたが、子どもが成長すれば取り残されてしまう。
表現しようのない怒りと寂しさの中に取り残され、手も足も出なくなった主婦たちの抑うつと無気力を、
ある女性精神科氏はエンプティネスト・シンドローム(空の巣症候群)と呼んだ。
エンプティ(空の) ネスト(巣)とは、エンプティネス(空虚感)を分解した言葉である。
こうした主婦たちのうち、たまたま従順な娘に恵まれた人は、
その娘を自分の愚痴の聞き役、人生の相談役に仕立てた。
娘が「幼いカウンセラー」として母親を支えるようになると、
ここに母と娘の強固な「母・娘カプセル」が形成される。
幼いカウンセラーは相談相手の表情に敏感で、その不幸を自分の不幸として、ともに悩むようになる。
意識化できない野心や怒り、寂しさや恐れは、増幅されたカタチで母親から娘に注入される。
母親が断念した社会的成功への野心は、明確化したカタチで娘の中に定着した。
その一方で、父親への敵意と、父親から捨てられることへの恐怖が、
異性の前で虚勢を張ったり、萎縮したりするぎこちない態度へと導いた。
こうした母親との密着関係を維持したまま、一生を母親のカウンセラーとして過ごす娘たちは、
私のような精神病理の臨床家とは出会わずにすむわけだが、その数は多いのではないかと思う。
もはや青年期も過ぎたかと思える独身の娘が付き添っている場面に、たびたび出会うからである。
それでは、
娘自身が私たちの患者になるのはどのようなときかというと、
青年期に入って、母親との密着した関係に疑問をもつようになった場合である。
つまり、他の多くの精神障害の場合と同様、
「障害」は真の成長のための契機として「健康」な意味を持っているのである。
このとき、母・娘カプセルからの母離れを試みる女性たちは、
一転して母親の考え方と生活様式を批判するようになる。
その際、母親を 父の愛を得そこなった女性 として、
その生き方と考え方を否定し、自分は 「かわいく」なろうとする。
ここから、異性の目に映る体型にこだわるという、一見はなはだしい退廃が生じるのだが、
この逆行を支えるエネルギー自体は健康なものなのである。
この関係を壊そうとするようになっても、
娘の心の中には母親の保護者という役割が 深く植え込まれているから
母親批判それ自体が、心の痛みになる。
そのため実家にいるときは緊張に包まれている。
それなら早々と家を出るかと言うと、多くはなかなか出ようとしない。
家の外の人々の視線や評価が怖くて、うまく生きていける自身がないからだ。
こうして 「私はどこにいてもくつろげない。自分の居場所がない」という訴えが始まるのである。
なかには、結婚を急いで母親離れに成功したかのように見える場合もあるが、
それでも頭の中は母親のことでいっぱいになっている。
また、職場の近くに自分の城を持とうとする場合もあるが、
寂しさに耐えかねて摂食障害がひどくなり、結局、自宅へ戻ることになってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・