愛の必要条件 OSHO
https://ameblo.jp/vijay1957/entry-12070062662.html より
そして必要条件とはなんだろう?
必要条件は、惜しみなく愛する人はいつでも愛を与える用意があり、それが返ってくるかどうかなど気にしないという ことだ。
それはいつでも返ってくる。
それはものごとのまさに本質だ。
あなたが山に行って、歌をうたえば、谷が応えるようなものだ。
山々で、丘で、こだまが 返ってくる場所を知っているかね?
あなたが叫ぶと、谷が叫び、あなたが歌うと、谷が歌う。
それぞれのハートは谷だ。
そのなかに愛を注ぎ込めば、それは応える。
愛の最初のレッスンは、愛を求めるのではなく、ただ与えることだ。
与える人になりなさい。
人びとはちょうど反対を やっている。
与えるときですら、返ってくる見込みがあって初めて、愛を与える。
それは取り引きだ。
彼らは分かち合わない、気前よく分かち合わない。
彼らは 条件付きで分かち合う。
それが返ってくるかどうか、こっそりと目の端でうかがっている。
とても貧しい人たちだ……愛の自然な働き方を知らない。
注ぎさえす れば、それは返ってくる。
たとえ返ってこなくても、なにも心配することはない、というのも、愛する人は愛することが幸せなことを知ってい るからだ。返ってくるなら、それでよし。そのときは愛が何倍にもなる。
だが、それが二度と返ってこなかったとしても、そのまさに愛するという行為で、あな たは幸せになり、喜びにあふれるのだから、それが返ってくるかどうかなどだれが気にするだろう?
愛そのものに幸せが内在している。
あなた が愛するとき、それが起きる。
結果を待っていなくてもいい。
とにかく愛しはじめなさい。
だんだんと、はるかに多くの愛が自分に返ってくることを、あなたは 知るだろう。
人は愛し、そして愛することによって初めて、愛とはなにかを知るようになる。
泳ぐことで水泳をおぼえるように、
愛することによって人は愛する ようになる。
人びとはとてもケチだ。
だれかすばらしい恋人が現れるのを待っている、そうしたら愛そうと。
彼らは閉じたまま、 内側に引っ込 んだままだ。彼らはただ待っている。
どこかからクレオパトラのような人が現れたらハートを開こうと考えているが、そのときにはどうやってハートを開くのか を完全に忘れてしまっている。
どんな愛の機会も見逃してはいけない。
通りを歩いていても、愛情深くなることはできる。乞食にだって愛情深 くなることができる。彼になにかを与えなければいけないというのではない。少なくとも微笑むことはできる。
それにはお金がかからないが、そのまさに微笑み があなたのハートを開き、あなたのハートをもっと生き生きとさせる。
だれかの手を握ってみなさい――友人でもいいし見知らぬ人でもいい。
ふさわしい人が現 れたときにだけ愛することにしよう、などと待っていてはいけない。それではふさわしい人はけっして現れないだろう。
愛しつづけなさい。
愛すれば愛するほ ど、ふさわしい人と出会う可能性が出てくる、なぜなら、あなたのハートが開花しはじめるからだ。そして花開いたハートは多くの蜜蜂たち、多くの恋人たちを 引き寄せる。
あなたはひどく間違ったやり方でしつけられている。
第一に、みんながすでに愛し方を知っているという間違った印象の下で、み んなが生きている。生まれながらに、自分は愛し方を知っていると、あなたは考えている。
それはそんなに簡単なことではない。
確かに、その潜在能力はあるが、潜在能力は訓練され、鍛えられなければならない。
種子を持ちつづけたとしても、一匹の蜜蜂もやってこないだろう。
種子に蜜蜂がたかっているのを見たことがあるかね?
種子が花になることを 彼らは知らないのだろうか。
だが、それらが開花すると彼らはやってくる。
花になりなさい、
種子のままでいてはいけない。