斎藤学 IFF のツイッターより
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愛しすぎる女は生育史の中で受けた親達からの傷を、成長してからのパートナーとの関係の中で修復しようとする。自己中心的で冷たいパートナーを自分の愛情によって変化させ、温かい保護者につくり変える作業は彼女達にとって何にも換えがたい貴重で喜びの多い仕事である。
登校を「拒否する」「したくない」などと自己主張できる子がいたとしたら、それは今の子どもたちの中で並以上の子どもで、偉い。偉い者に偉いと言ってやるのは、治療的なことである。(斎藤学「家族という名の孤独」P171)
娘、とくにひとり娘や長女となると、母親はまるで自分の体の延長のように娘を感じてしまうようだ。自分の一部なのだから、自分と同じように考えているはずと考える。(斎藤学「家族という名の孤独」P128)
娘は自分の存在を、まるのまま認めてくれることを母に求めた。(中略)このことが伝えられないから、伝えようもなかったから、娘は「おねだり」した。そして、それをするごとに、母を恨んだ。(斎藤学「家族という名の孤独」P134)
子どもは母親の指示・期待の受け手となるばかりでなく、彼女のたれ流す愚痴の聞き手となり、ひたすら聞くことによって彼女を支える。ときには母親の絶望や不安を理解しようとし、それに共感してともに苦しみながら母親を支える。(斎藤学「家族という名の孤独」P116)
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斎藤学「家族という名の孤独」より
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