【 コントロールの喪失 】
実際のところ、子どもというのは、自分の人生をコントロールするすべを持ちあわせていません。
子どもは、からだが必要とすること(食べもの、着るもの、住む場所など)や、こころが必要とすること(愛情、養育、自己価値など)、教育、世界についての考えなどを身につけるために、親や家族に依存しているのです。
親がちゃんとしたしつけをしていれば、その子は少しずつ自分で人生をコントロールできるようになります。
たとえば、自分の着たい服や、寝る前に読む本、朝ごはんに食べるシリアルを、自分で選べるようになるのです。
でも、子どもが性虐待を受けると、自分でなにもコントロールできないと感じます。
こうした子どもは「いや」といえない状況に置かれていますし、たとえば「いや」と言ったところで どうしようもないからです。
こんな子たちは、自分でコントロールできる別のなにかを見つける必要があるのです。
自分の持ちものを決まった順番に並べたり、着替えるのに自分なりのやりかたを決めたり、ほかにも、歯みがきのときに円を描くようにブラシを動かしたり、いつも必ず左足から靴をはくなんて儀式をする子どももいます。
行動化によってコントロール感を得ようとする子どももいます。
行動化というのは、学校で問題を起こしたり、違法行為をしたりすることで、親をコントロールしているように感じられるのです。
そんな行動をとれば、親は仕事を放り出して子どもを迎えに行かなければならなくなったり、
少なくとも親の気を引くことはできますからね。 たとえよくないことであったとしても、です。
また、コントロール感を回復するために、食べものを用いる子どももいます。拒食や過食をする子どもたちです。
「わたしが食べるものについては、だれにも口出しさせないわ。食べる量を決めるのは、わたしよ」
といって絶食したり、ガツガツ食べまくったあと罪悪感にかられて全部吐き出したりしてしまうのです。
コントロールできていると感じていたい という欲求は、暴力のサバイバーに共通する気持ちです。
あらゆるもの、あらゆる人を コントロールしていたいという欲求があります。
うまくコントロールできないと感じると、自分が脅かされたように感じて恐怖を覚えるのです。
コントロールしている状態は、被害に対処するのに役立つ方法ですし、大人であれば長所にもなります。
どういう意味かって? つまり、すごい組織力があれば国を動かすことだって可能でしょ。
でも司令塔にいることには 否定的な側面もあるのです。
かたくなになり、いつだって自分のやり方でなければ気がすまなくなるからです。
・・うるさい親になってしまうかも。どこへ行くの? なにをするの? だれと行くの? なんて、
つねに相手を管理するような友達は、きらわれてしまうかもしれません。
出典元:仲間のチビさんからもらった資料より。(詳細不明のままです・・)