2017年6月に『HUFFPOST』に掲載されたアコアの仲間の熊田理恵さん(医療問題ジャーナリスト)の手記をご紹介します。
アコアを活用してもらえたこと、とても嬉しいです。
(以下、文中より抜粋転記)
都内で探して色々と訪れたが、相性が合わなかったり、逆に私が気を遣う羽目になったり、どうも今一つここだと思えるところがなかった。
でも、どこかにあるはずだと思っていた。
自分が求めている、「私の中にすっぽり抜け落ちている何か」を知るヒントになるところが。
雰囲気が自分とは合わないかなと感じたり、
長く通っている人が我が物顔をしていたり、
なかなか心地よく通えるところを探すのは難しいなと思っていた。
ACOAのサイトは押しつけがましくなく、
同じ悩みを持つ人への優しさに溢れ、自律している感じがした。
「摂食障害やDVの人のため」と書かれていたので、自分にぴったりだとも思った。
当時はまだ依存症について理解できておらず、
摂食障害とDVの共通性もあまり分かっていなかっため
どういうことかは分かっていなかったのだが。
ACOAを主宰する女性が、摂食障害やDVのカウンセリングも行っていた。
直感でこの人に受けてみたいと思い、私は両方に通うようになった。
自助グループACOAは、心から落ち着ける場所だった。
初めて心の底から安心して話すことができた。
摂食障害のこと、彼氏のこと、仕事で嫌な思いをしたこと、両親との関係...。
ファシリテーターが上手に采配してくれたし、参加者はその時によって違い、人数もまちまちだったので、参加者の顔ぶれを気にしなくてよかった。
でもお互いがそれぞれの問題で苦しんでいて、そこに共通しているものがある。
それだけで仲間だと思えた。
今この瞬間、同じように苦しんでいる仲間がいる、
その仲間が目の前にいるということは、とても心強いことだった。
基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしなので、誰からも評価されないし、
意見を言われない。
そのまま、あるがままを聞いてもらうだけ。聞くだけ。
そんな場は一般にはほぼないので、すごく気持ちが楽だった。
誰からも何からも裁かれないというのは、本当に安心した。
私が参加していた時の参加者は、皆本当に真面目で、優しく、律儀で、丁寧で、
繊細で、敏感で、一生懸命な、そんな方々ばかりだった。
だからこそ、つらさを引き受けてしまうのかな、
しんどいことにもきちんと目を向けて、余計につらくなったりするのかなと思った。
私自身もそうなのかもしれないと、なんとなく思った。
もっと適当に、いい加減に、どうでもいいやとできたら楽なのに、
そういうことができなくてつらくなってしまっている。
そして皆、今の状況を何とかしたいと、こうして自助グループに電車に乗って、
歩いて、通ってきている。
苦しんでいるけど生きている、力強さがあった。
ACOAで必ず最初に皆で唱和する「平安の祈り」というものがある。
多くの自助グループで使われていて、私はこれが大好きなので、ここにも転載する。
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≪平安の祈り≫
神さま 私にお与えください
変えられるものを変える勇気を
変えられないものを受け入れる落ち着きを
そしてそのふたつを、見分ける賢さを
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私はいつも、自分が変えられるものとはなんだろう、変えられないものはなんだろう、と自問していた。
今すぐに過食嘔吐している自分をやめることはできない。だから今はこれでいいのだと受け入れよう。そうしてしまっている自分も、そうする必要があるからしているのだと。過食嘔吐も必要なのだからこれでいいのだと。
それまでは過食嘔吐を抹殺してしまいたい忌むべき相手として見ていたが、私の隣に並んで笑っているような感覚だ。
ACOAに行った帰りに食べ物を買って帰り、家で過食嘔吐したこともあった。
だけど、今までとは何かが違った。
今までは過食のための買物をする時は罪悪感でいっぱいで、投げやりな気持ちでコンビニ内をを人目を避けるように歩いていた。
それがACOAに通っているうちにほんの少しだけ胸に温かいものができ、
なんだか少し余裕ができて「せっかく過食するんだから美味しいものを買おう」と思ったりするようになった。
十分に滅茶苦茶だし破綻しているが、
少しだけ自分への優しさ、明るさが灯り始めた。
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