アコアのブログ

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「心の回復クラス」感想~フラッシュバック

今日の心の回復クラスで 全15回を修了したAさんから頂いた 先週のクラスの感想です。

………


フラッシュバックについて書いてみました。

ほかにも沢山フラッシュバックがありましたが、この内容を書くだけでヘロヘロになってしまったのと、これを書いたことで、他のフラッシュバックが小さく感じました。

今週はとてもキツイ一週間でしたが、ジべリッシュをやることで、今まで泣けなかった悲しみが吹き出して子供のように泣けました。

ということで以下フィードバックです。




フラッシュバックのセミナー後、家に帰ってからフラッシュバックが起こりました。

それは夕方、あおいちゃん(猫)に薬を飲ませてた時の事でした。

薬を飲ませてご飯の皿をあおいちゃんの前に置いた瞬間、いつもならご飯に飛びつくはずが、その場にうずくまってしまいました。

私はビックリして、かかりつけの動物病院に電話しましたが、その日は土曜日で16時で閉院しててその時、時間は17時を回っていて電話は繋がりません。

あおいちゃんは、自力で自分のベッドに戻り、うずくまってました。

ネットで検索した近隣の動物病院に電話するものの、開院時間内にもかかわらず、どこも繋がりません。

私はパニックになりました。

その時、フラッシュバックしたのは、今から3年前にももちゃん(猫)を亡くした時の記憶でした。

その頃の私は、将来の不安にかられ、ある仕事を始める準備をしながら、知り合い2人と自分のクリアリングをやっていました。

ももちゃんや他の2匹の事にあまり構ってあげられず、気がつけばももちゃんはご飯を食べなくなっていました。

私はその時、かかりつけの動物病院が閉院した後だったので、とにかく病院を探してももちゃんを病院に連れて行きました。

その時の診断は、命に関わるものでなく治療を受けて家に帰りました。

翌日、ももちゃんの容態はどんどん悪くなり、それでも私は日曜日ということもあり様子を見続けていました。

夜になっても、変わらず月曜日の朝病院に連れて行った時は先生から「なんで急患の病院に連れていかなかったの!」と怒られました。

私は命に関わる診断内容でなかったのと、日々の忙しさの疲れとクリアリングのやり過ぎで、判断力が無くなっていたのです。

その後、入院になり色々手を尽くし私も、ももちゃんのゲージの前に付き添っていました。

入院して、3日後付き添って夕方一旦帰宅して夕食を食べている時、病院から電話が「ももちゃんもう駄目かもしれません。」

母親とタクシーに飛び乗り病院へ。ももちゃんはゲージの中でぐったりしてました。 先生がバスタオルにももちゃんをくるみ、ゲージから出して私の腕の中に。

ぐったりしてたももちゃんは、最期の力をふりしぼるかのようにむくっと起き上がり「にゃ…。」と鳴いて息を引き取りました。

私達が来るまで、苦しみながら待っていたんだと思いました。

自分を責めるしかなかった。

あの時自分がしっかりしていればって。

帰りのタクシーの中でずっと母親と二人泣いていました。

結局死因も解りませんでした。

それから、準備していた仕事も辞め、その時の人間関係も見直して、知り合いだからって、無償でクリアリングするのもすっぱり辞めましたが、夜全く眠れなくなり、母親の癖のような日頃の愚痴にも耐えられなくなり、精神科のお世話になりました。 抑うつという診断結果。その時先生に言われたのは「睡眠もエネルギー使うんだよ」でした。

確かにその時の私にはエネルギーが殆どなかったです。

エネルギーワークのやり過ぎの恐ろしさを実感しました。

その年の4月1日~12月中旬まで、精神科に週1日通い抗うつ剤睡眠導入剤を飲み続けました。

あと、自分で色んな種類のアロマの香りで自分を癒しました。気分的にもある程度落ち着き体調は少しずつは良くなっていくものの、ももちゃんの死に対する悲しみは、そう簡単に癒えませんでした。

ところが、ももちゃんの死から3ヶ月ほどたったある日、外から大音響で仔猫の鳴き声が聞こえて来るようになりました。

その時の私は、もう猫はこれ以上飼わないと誓っていたのですが、ほぼ毎日鳴き声は聞こえてくるので、気になって外に出てみるけど姿は見当たらず。

近所の人も、心配して私に「おたくから聞こえますよ」と教えてくれて、やっと見つけるもすぐに逃げてしまい保護できず。

今度は通りすがりの人が、「ねこちゃん連れて帰っていいですか?」とたずねてきましたが、人に馴れてないことを伝えると諦めて帰っていきました。

「これは、なんとしてでも保護せねば!」と、思いましたが…どうやって??

そんなこんなで、数日経過したある日チャンスがやってきました。

うちの裏にやってきて、ガラス越しに部屋の中を仔猫が眺めていました。

私はガラス越しに、指でトントンとガラスを軽く叩くと仔猫は興味を示しました。

それから、私は窓ガラスを少しずつ開けて部屋の中へと仔猫を誘導しました。時間にして約1時間ぐらい。

部屋に仔猫が入ったので、窓ガラスを閉めると仔猫は慌ててソファーの下へ。

その日は、ソファーの下に水とご飯を置いて私は寝ました。

翌朝、ゲージとトイレを買いに行く前に仔猫をダンボールに移すため捕まえようとしたら、テレビの裏に逃げ込みおしっこをされ、捕まえたら今度は捕まえた衝撃でうんこをして、私の指を思い切り爪が割れるぐらい噛みました。私は流血し慌てて思わず仔猫をダンボールへ放り込みました。噛まれた傷を消毒して、おしっことうんこを掃除してそのままナフコへ買い出しに行きました。

今思えば、よく感染症とかにならなかったな~と思います。

それから2日ほど、私はご飯をあげたり世話をする時仔猫に威嚇され、心が折れそうでしたが、3日目ぐらいになると私の手をおっぱいと思って吸い付いてくるようになり、馴れてくれました。(3歳になった今でも、吸い付きます。)

そんな事があり、私のももちゃんへの喪失感はあっという間にかなり癒えたのでした。

私にとって、仔猫は宇宙からのギフトだと思い名前を”そら“にしました。

さらに翌年、うちにまた仔猫がやってきてその子はガラス窓を開けたらすんなり入ってきました。

名前は、ガラス窓からJRの車両基地が見えてその窓からやってきたので、”てつ“にしました。(スピリチュアルからかけ離れてる。)

そんなこんな、かなり喪失感は減ったような気がしてましたが、フラッシュバックは起こりました。

…で、あおいちゃんはというと暫くうずくまってましたが、むくっと立ち上がり何事もなかったかのように、スタスタご飯を置いている戸棚へ向かいそこに座り込み、戸棚の方をジッと見つめていました。(「ごはんくれ」と訴えている)

さっきあげようとしていたご飯を、改めて出すと何事もなくガツガツ食べていました。

私は、身体の力が抜けて号泣しました。

私は、ももちゃんに「頑張り過ぎないで」と教えられ、そらちゃんやてっちゃんに癒され、あおいちゃんに「まだ自分を責めてるよ」と教えられました。

その度に、猫との関わり方を見直す機会を与えられてると思いました。



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ありがとうございました

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