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こんにちは、くまたんです。
今回もジュディス・ヒューマンさんの
「わたしが人間であるために」を
ご紹介させて頂きます。
よろしくお願いします。
「 わたしが人間であるために 」〜シリーズ25
第三部 一九八一年 バークレー・カリフォルニア
第九章 応酬 その2
◯前回のあらすじ
五〇四条項がの施行規則が署名されたあとの数年間は混沌としていた。
法律を成立させたからといって、必ずしも法の内容が現実になるわけではない。
ジュディたちのアクセスが保証されるためには構造的な変化が必要であった。
その後の数年間、ジュディはCILにいて、責任者として大半の活動に携わっていた。
色んな問題は山積みであったが、ジュディは沈黙の圧に屈することなく、主張することを続けていったのである。
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著者はドイツに旅行に行き、パラリンピックを観戦した。
そこで南米、アフリカ、世界中の障害者と初めて出会った。
著者にとって一番の驚きは、そこにあった格差であった。
世界の豊かな国と貧しい国の間に存在するとてつもない不平等に触れることになった。
国を代表するエリート選手であるにもかかわらず、パラリンピック選手の中ですら、そこにはすさまじい格差があったのである。
その後、著者はドイツからスウェーデンに向かった。
スウェーデンの社会福祉制度について学ぶプログラムを受講した。
制度によって所得保障、保険医療、社会サービスなどがどのように提供され、スウェーデンの社会を守っているかを学んだ。
この経験が著者の視野を広げ、アメリカでの著者たちのやり方が世界のものさしではない、と知ることができた。
旅のすべてが、深い影響を与え、以前とは異なる見方ができるようになったと著者は綴っている。
五〇四条項のあと、CILには海外からの訪問者も増え、海外に呼ばれることも多くなるにつれ、世界とつながって運動することに著者は惹かれていった。
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わたしは人と人とをつなぐことが好きで、そのための場なら喜んで設ける人間だ。誰かと出会ったら、その人をまた別の誰かに紹介するようにしている。
できるだけ多くの情報を吸い上げ、できるだけ多くの人とそれを共有しようとしてきた。
p229より
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アメリカで運動をしながら、私たちが次にやるべきことは、世界中の障害者の人権問題だと考えるようになった。
一九八〇年、著者はエドともうひとりの同僚のジョアン・レオンの三人で、世界障害機構(WID)を共同設立した。
世界中の障害を取り巻く問題を研究し、他国の状況を調査し、政策・プログラム策定に影響を与え、世界中の障害者リーダーたちと一緒に活動した。
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障害のあるアメリカ人法(ADA)の成立に向けた仕事が始まった。
著者たちは、五〇四条項が公的領域しか対象にできないため、早いうちに、民間における差別を禁止する法律が必要になると話していた。
著者たち障害者は一九六四年の公民権法から取り残されていたため、自分たち自身の公民権法が必要だった。
一九八〇年代頃から、著者たちはこの法律をつくる土台を築くために一緒に運動を始めたのだ。
立てこもりデモのあと、メアリー・ルー・ブレスリンは立てこもり時のリーダーであるパット・ライト、ボブ・フランク、そして人権派弁護士のアーリーン・メイヤーソンと一緒に、新たに設立されたDREDFの共同創設者になっていた。
DREDFは、ADAを形づくり最終的に成立させるうえで不可欠な役割を果たした。
ADAを成立させるための運動は、五〇四条項のときとは全く異なる過程をたどった。
五〇四条項はある法律の中に密かに潜り込ませた工作員だったが、五〇四条項を拡大したADAは正面ドアから堂々とやってきた。
一九八一年、ロナルド・レーガン大統領は、ジャスティン・ダートという素晴らしい男性を新しく創設した全米障害者評議会(NCD)副議長に任命した。
このジャスティン・ダートという男性について簡単にまとめると
・共和党員であった。
・シカゴの裕福な家庭に育ち、ポリオのために車いすを使い、起業家として成功していた。
・誰に対しても丁寧に敬意を払う人であったのでみんなから敬愛されていた。
・公民権に熱心で、テキサスや海外で障害者の権利を求めて活発に活動していた。
NCD(全米障害者評議会)でジャスティンが最初にしたことは、全米の障害運動家を一つにする方法を見つけることであった。
ジャスティンは全米中を旅し、各地の障害者リーダーと会い、彼らからフィードバックをもらいながら、障害者の公民権確立に向けた国の政策をつくることに同意を得ていった。
その当時、障害のある人が旅行をするのはお金がかかり、かつ厄介なことだったので、ジャスティンがこれを実際に(しかも自分のお金で)やり遂げたこと自体、並外れたことだった。
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ジャスティンはその旅を終えると、すぐにNCDの事務局長であったレックス・フリーデン、そしてNCD付きの弁護士ボブ・ブルクドルフと共に国家障害政策の初稿を書き上げた。
この草案は、旅をして回るなかで集めた声に基づいて書かれていたが、NCDの委員に任命されていた共和党員たちからの反応はパッとしなかったのである。
しかし、NCD議長であり、サウスカロライナ職業リハビリテーション局長だったジョセフ・デューセンベリーが立ち上がると状況は一変した。
「みなさん。この文章は、全米の障害者によって書かれたものです。この文章を採択する動議をいただきたい。一言一句も変えることなくです。」
この間さまざまな進歩があったとはいえ、「障害者自身が」何を望んでいるかを実際に尋ねることや、障害を公民権の問題として話すことは、当時まだ過激な考えだとされていた。
のちに、自身の原理原則を貫いたことが一因となり、ジョセフはNCD議長の座を失うことになる。
p240より
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とはいえ、NCDは文書を採択した。
提出された草案について議論する会議に全米から関係者が呼ばれ、著者も出席した。
これが、国家障害政策に関する一連の議論の始まりであった。
この時点から、ADAの成立に向けた運動は急速に盛り上がりを見せていく。
しかし、同時に、この運動を抑えつけるような反対運動もあらゆる方面からやってきたのだ。
経済界はADAがお金も時間も要する内容になることを懸念し、反撃してきた。
レーガン大統領もまた、IDEA(障害のある個人教育法)という障害児の教育に関する法律の大半の施行規則を骨抜きにしようとしていたのである。
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次回、第三部 一九八一年 バークレー・カリフォルニア
第九章 応酬 その3
次回、さまざまな組織が五〇四条項の施行規則をめぐって法廷で争っていた。
反撃するDREDF。
そして、ADA (障害のあるアメリカ人法)は一九九〇年にブッシュ大統領が署名し、成立するまでの流れはどのようなものだったのか?
お楽しみに🧸
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ブックサロンも今年の六月から担当し、今月で終了となります。
読んでくださった皆さま、ありがとうございます😊
残り3回となりますが、次回もよろしくお願いします。
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私は毎週、日曜と水曜を担当させて頂いております。
もし、今回の記事に対して何か感じる事がありましたら、ぜひ、皆さんの声もお聞かせ頂けたら幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
担当:くまたん
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過去記事のリンク
ぜひ、こちらも読んでみてください♪
シリーズ① 「チベットの生きる魔法」
"師からの助言"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/06/20/120000
シリーズ② 「チベットの生きる魔法」
"物事は悪くとってはいけないよ"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/06/23/120000
シリーズ③「チベットの生きる魔法」
"変化しないものなどない"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/06/27/120000
シリーズ④「チベットの生きる魔法」
"無我について"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/06/30/120000
シリーズ⑤「チベットの生きる魔法」
"苦、不満足について"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/04/120000
シリーズ⑥「チベットの生きる魔法」
"ただここにあることをまなぶ"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/07/120000
シリーズ⑦「チベットの生きる魔法」
"戦士のスローガン"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/11/120000
シリーズ⑧「チベットの生きる魔法」
"四つのかぎりない特性"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/14/120000
シリーズ⑨「チベットの生きる魔法」
"愛あふれる優しさ"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/18/120000
シリーズ⑩「チベットの生きる魔法」
"愛あふれる優しさ②"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/21/120000
シリーズ11「チベットの生きる魔法」
"思いやり"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/25/120000
シリーズ12「チベットの生きる魔法」
"トンレン"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/07/28/120000
シリーズ13「チベットの生きる魔法」
"心に響いた言葉"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/01/120000
シリーズ14「チベットの生きる魔法」完結
"偏見のない心で"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/04/120000
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シリーズ① 「死について41の答え」
"疑いを尊重する"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/08/120000
シリーズ② 「死について41の答え」
"疑いを信頼する"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/11/120000
シリーズ③ 「死について41の答え」
"信者ではなく探求者に"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/15/120000
シリーズ④ 「死について41の答え」
"人のことを考えるな"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/18/120000
シリーズ⑤ 「死について41の答え」
"この世から自由になる"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/22/120000
シリーズ⑥ 「死について41の答え」
"この世から自由になる②"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/08/25/120000
シリーズ⑦ 「死について41の答え」
"未知なるたび"
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シリーズ⑧ 「死について41の答え」
"死は最後のタブー"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/09/05/120000
シリーズ⑨ 「死について41の答え」
"自分を犠牲にしない"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/09/08/120000
シリーズ⑩ 「死について41の答え」完結
"全世界を忘れる事だ!"
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/09/12/120000
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シリーズ① 「わたしが人間であるために」
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シリーズ② 「わたしが人間であるために」
→https://npoacoa.hatenablog.com/entry/2021/09/19/120000
シリーズ③ 「わたしが人間であるために」
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シリーズ④ 「わたしが人間であるために」
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シリーズ⑥ 「わたしが人間であるために」
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シリーズ⑦ 「わたしが人間であるために」
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シリーズ⑧ 「わたしが人間であるために」
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シリーズ⑨ 「わたしが人間であるために」
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シリーズ⑩ 「わたしが人間であるために」
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